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日本國(guó)內(nèi)で外國(guó)人を目にする機(jī)會(huì)は、年を追うごとに増えている。外國(guó)人旅行者もそうだが、日本の技術(shù)を?qū)Wぶために來(lái)日した「技能実習(xí)生」の存在も多い。そんな彼らの前に立ちはだかるのが「日本語(yǔ)の壁」だ。曰く「漢字が難しい」「敬語(yǔ)が難しい」「話し言葉と書(shū)き言葉が違う」など、難解な理由には事欠かない有様。まあ、外國(guó)人がそう思うのも當(dāng)然かもしれない。なぜなら我々日本人ですら、日本語(yǔ)を本當(dāng)に知っているか怪しいものだからである。
『日本人として知っておきたい 日本語(yǔ)150の秘密』(沢辺有司/彩図社)を読めば、そのことが具體的に理解できるはずだ。
在日本國(guó)內(nèi)遇見(jiàn)外國(guó)人的機(jī)會(huì)連年增加。外國(guó)旅行者自不必說(shuō),為學(xué)習(xí)日本技術(shù)而來(lái)日的技能實(shí)習(xí)生也大量存在。但“
日語(yǔ)的墻壁”卻橫亙?cè)谒麄兊拿媲啊!皾h字好難”、“敬語(yǔ)好難”、“書(shū)面語(yǔ)與口語(yǔ)不同”等等,說(shuō)到
日語(yǔ)難懂的理由大家怨聲載道。外國(guó)人會(huì)這么想也是必然的。畢竟就連日本人也說(shuō)不好是否真正懂得日語(yǔ)。只要閱讀《日本人として知っておきたい 日本語(yǔ)150の秘密》(澤邊有司/彩圖社),你就能有對(duì)此有更具體的理解。
現(xiàn)在、世界で最も普及している共通語(yǔ)は「英語(yǔ)」である。英語(yǔ)を第二言語(yǔ)として使っている人口は、およそ4億人にのぼるとも。ではその「英語(yǔ)」と「日本語(yǔ)」の大きな違いはといえば、やはり「漢字」の存在だろう。だから殊更に難しさがクローズアップされるのだが、本書(shū)では驚くべき事実が語(yǔ)られている。
なんと日本語(yǔ)から、漢字がなくなる可能性があったというのだ!目前世界普及率最高的共通語(yǔ)言是英語(yǔ)。將英語(yǔ)作為第二語(yǔ)言使用的人口高達(dá)4億。說(shuō)到英語(yǔ)和日語(yǔ)最大區(qū)別,應(yīng)該就是漢字吧。因此日語(yǔ)的困難程度被進(jìn)一步放大,但本書(shū)卻表明了一個(gè)令人震驚的事實(shí),即
漢字有可能將被從日語(yǔ)中剔除。
実は日本語(yǔ)が不便ではないかという説は、西洋文化が広まってきた江戸時(shí)代あたりに遡る。例えば「正徳の治」で有名な政治家の新井白石は、その著書(shū)『東雅』の中で「
西洋のアルファベットは、ひらがなよりも少ない30にも満たない文字ですべてを言い表せることから、漢字よりも優(yōu)れている」と述べたと本書(shū)で紹介。同じく江戸時(shí)代の國(guó)學(xué)者?賀茂真淵も著書(shū)『國(guó)意考』で似たようなことを書(shū)いている。
事實(shí)上,日本語(yǔ)使用不便這一說(shuō)法,可追溯到西洋文化廣泛傳播的江戶時(shí)代。例如本書(shū)中介紹,因“正德之治”而成名的政治家新井白石在著作《東雅》中寫(xiě)道,“
西洋的字母表僅需少于平假名的不足30的字符即可表述全部意思,因此比漢字更為優(yōu)秀”。江戶時(shí)代的國(guó)學(xué)者賀茂真淵也在著作《國(guó)意考》中寫(xiě)下了相似的言論。
そして漢字廃止論が本格的に起こったのは、幕末期においてのこと。1866年に前島密が徳川慶喜「漢字御廃止之議」という建白書(shū)を提出したことが端緒とされる。前島密とは、日本の近代郵便制度創(chuàng)設(shè)に盡力した「郵便制度の父」とも稱される大物であり、建白書(shū)では「
漢字のような複雑極まりない文字を覚えているから教育が普及しない」ということを訴えていた。この申し立ては退けられたが、明治政府に仕えるようになってからも、たびたび同様のことを主張していたという。
幕府末期,漢字廢止論被正式地提出。事件起源于1866年前島密向德川慶喜遞交建議書(shū)名為《漢字御廃止之議》。前島密是創(chuàng)建日本現(xiàn)代郵政制度殫精竭慮的被稱為“郵政制度之父”的大人物,在建議書(shū)中他表明“
正因?yàn)槭褂脻h字這種極盡復(fù)雜之能事的文字,才使得教育得不到普及。”。雖然他的意見(jiàn)被退回,但自他在明治政府任職后,也不時(shí)提出同樣的主張。
この「漢字廃止論」はさまざまな形となって議論されていく。慶應(yīng)義塾の創(chuàng)設(shè)者?福澤諭吉は「難しい漢字を使わないようにすれば、2千か3千の漢字があれば十分だろう」と漢字を制限する案を提唱。また西洋のローマ字を公用語(yǔ)にしようとする「ローマ字派」や、日本語(yǔ)に最適な表音文字「仮名」だけにしようとする「かな派」といった派閥も生まれた。面白いところでは「外國(guó)語(yǔ)を公用語(yǔ)にしよう」と唱えた者もいる。『暗夜行路』などで有名な作家?志賀直哉だ。彼は雑誌『改造』の中で
「フランス語(yǔ)を公用語(yǔ)に」と主張していた。しかし本人はそのフランス語(yǔ)をまったく解することができなかったというから恐れ入る。
《漢字廢止論》還被以各種形式進(jìn)行討論。慶應(yīng)義塾的創(chuàng)始人福澤諭吉提出“不使用困難的漢字,只要2000或3000左右的漢字就足夠了。”,提倡限制漢字的數(shù)量。還產(chǎn)生了推崇將西洋的羅馬字作為官方語(yǔ)言的“羅馬字派”、提倡只使用最適合日語(yǔ)的表音文字“假名”的“假名派”等等派系。更有趣的是,甚至有人提倡將外語(yǔ)作為官方語(yǔ)言。提出這一觀點(diǎn)的是寫(xiě)下《暗夜行路》等作品的著名作家志賀直哉。他在雜志《改造》中
主張將法語(yǔ)作為官方語(yǔ)言。但他本人卻完全不懂
法語(yǔ),真是服了。
以後、漢字は廃止されることなく日本は戦爭(zhēng)に突入し、敗戦國(guó)となった。
敗戦の原因として漢字が槍玉に挙げられたこともあり、またぞろ「漢字廃止論」が復(fù)活。さらにGHQも漢字の廃止に肯定的で、道路標(biāo)識(shí)や公共施設(shè)の看板などから漢字が消え、英語(yǔ)やローマ字に置き換わっていったという。
こうした流れの中で公布された「當(dāng)用漢字表」。これは一般に使用する漢字を1850字に制限したものだ。當(dāng)用漢字には多くの問(wèn)題があったが、漢字全廃の議論も進(jìn)まずそのまま使い続けられていく。その流れに疑義を呈した吉田富三の「吉田提案」は、漢字存続か全廃かの明確化を迫った。これが後に當(dāng)用漢字の廃止に繋がり、「常用漢字」の制定に至る。常用漢字は當(dāng)用漢字から「95字」追加されたに過(guò)ぎないが、「増えたことに意味がある」と著者はいう。つまり減るはずだった漢字が増えたということは、漢字廃止論が正式に見(jiàn)送られたことを意味する。そして
2010年には「新常用漢字」として196字が追加され、2136字となった。
這之后,漢字并未被廢止,而日本陷入戰(zhàn)爭(zhēng)成為戰(zhàn)敗國(guó)。
漢字被作為戰(zhàn)敗的原因之一成為眾矢之的,《漢字廢止論》再次復(fù)活。GHQ(駐日聯(lián)軍總司令部)亦對(duì)廢除漢字表現(xiàn)出肯定的態(tài)度,漢字從道路標(biāo)志及公共設(shè)施的標(biāo)牌上消失,被替換為英語(yǔ)及羅馬字。
在這種時(shí)代風(fēng)潮下,《當(dāng)用漢字表》被公布。該表將可被一般性使用的漢字限制在1850個(gè)。當(dāng)用漢字中存在許多的問(wèn)題,全面廢除漢字的爭(zhēng)論也沒(méi)有進(jìn)展,就這樣被沿用。對(duì)這種風(fēng)潮提出疑義的吉田富三在他的《吉田提案》中強(qiáng)調(diào)應(yīng)明確是沿用漢字還是全面廢除漢字。該意見(jiàn)與后期廢除當(dāng)用漢字直接相關(guān),促進(jìn)了《常用漢字》的制定。雖然常用漢字不過(guò)是在當(dāng)用漢字的基礎(chǔ)上增加了95個(gè)字,但本書(shū)作者認(rèn)為“增加即有意義”。也就是說(shuō),本應(yīng)減少的漢字反而增加了,說(shuō)明漢字廢止論被正式推延。
2010年再次增加196字作為《新常用漢字》,總共為2136個(gè)字。こうしてみると、漢字がいかに危うい狀況にあったかよく分かる。しかしそんな重要なことも、知らないという人は多いのではなかろうか。本書(shū)ではこの他にも、知っておきたいさまざまな情報(bào)が詰まっている。それを知ることは、日本人として日本語(yǔ)に誇りを持ち、正しく用いようと心がけることに繋がるはずだ。
由此可見(jiàn),漢字曾陷入極其危險(xiǎn)的處境之中。但如此重要的事件,大概有很多人都不知道吧。除了該內(nèi)容,本書(shū)中還囊括了各種各樣希望大家能有所了解的信息。通過(guò)對(duì)這些內(nèi)容的了解,能提高作為日本人對(duì)日語(yǔ)的那份驕傲,建立正確使用它的意識(shí)吧。